釜ヶ崎にて
”山手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした。
そのあと養生に一人で但馬の城崎温泉へでかけた。”
志賀直哉の”城崎にて”はこうはじまる。
この中に、次のような一節がある。
“ネズミは一生懸命泳いで逃げようとする。ネズミは首のところに七寸ばかりの魚串が刺し貫いてあった。(中略)ネズミは這い上がろうとするが、魚串がつかえて、又水に落ちる。
ネズミは助かろうと、川の中へ泳ぎ出ては流される。”
これを読んで、ある男を思い出した。
男は自転車に跳ね飛ばされて怪我をした。仕事ができなくなって釜ヶ崎へながれついた。しばらくいたがなじめず、此処を出た。男は彷徨い歩き、気が付くと四天王寺に立っていた。
つかれきった男は倒れこむようにベンチに座り込んだ。
秋の風が吹いていた。微睡むように眠っていた。夢を見ていた。
暗闇から女の声が聞こえた。
「なに ”してんの” 下手くそ!」
四天王寺にて
「何してんの!」と叱られた。ここにも男の居場所はなかった。
安らぎの場所を求めて男は彷徨い、いつしか東京へ流れ着いた。
晩秋の風は冷たく、疲れた体をいたぶる。
闇の中から切ない女の声が聞こえる。
「私たちこんな事して ”いいのかしら”」
井の頭公園にて
こんな事していいのかしら、と自責の念にかられ、男は又旅に出た。
通天閣は哭いていた。釜ヶ崎は雨に濡れていた。男は又ここへもどってきた。
それから三年になる。
釜ヶ崎にて
”