がばい婆ちゃん

             がばいばあちゃん

 佐賀県唐津という、海あり、山あり、川ありの長閑な田舎町で生まれ、小学四年までの十年をここですごした。

 夏は海で波と戯れ、冬は山でウサギを追いかけ、春には川でドジョウを捕まえて遊んだ。絵に描いたような昭和20年代から30年代初めの日本の田舎の原風景のような中で育った。

 年のせいかこの頃のことを最近よく思い出す。

 

 毎年、お盆やお彼岸には祖母が必ずおはぎを作ってくれた。

日頃の野良仕事で爪はいつも畑の土で黒かったが、おはぎを作ってくれた後はなぜかいつもきれいだった。

 

 

 

 

社会の進歩を妨げるもの、それは⁉

 「あなたたちを決して許さない‼」

国連の気候変動サミットで、当時16歳の少女グレタ・トウォンべリさんは涙ながらに訴えた。

 プーチン大統領はいった。「彼女は情報不足だ、考えが偏っている」と。

 トランプ大統領ツイッターで「幸せな女の子」と皮肉った。

 習近平は何も言わない、何もしない、ただ権力闘争に明け暮れる。

 

 気候変動に関する政府間パネルの最新報告書には、温暖化による氷床の縮小と海面上昇が進んでいる。とある。

何をいまさら、これにしたってグレタ・トウンべリさんの生まれる前から指摘されてきた来たことだ。

 フランスの新聞フィガロ紙は、グレタさんは「ノン」ばかりで解決策を示さない。と書いた。

 「アホか!おまえは!」解決策なら俺でも知っている。あんただって知っているだろう、フィガロさん。それを書くのがあんたの役割。

書かなかったあんたを彼女は ”決して許してはくれない”

 分かったか!ボケ!

 

 気候変動サミットでは、世界の政治家達は子供のようにふるまい、子供たちがリードした。何かが思い浮かぶ。日本の幕末、明治維新が。

幕末のころ日本の若者は理想を掲げて京をめざした。今、心ある世界の若者はニューヨークを国連を目指す。そして老人は、昔も今も闊歩する。

    社会の進歩を妨げるのは若者の暴走ではない、老人の闊歩である。

 

 とまれ、痴呆老人にも一つだけ使い道がのこっている。

 昔、江戸の町では、近郊の百姓が大根と糞尿を交換し、肥料とし、糞尿は大根となり、大根は肥料となった。

 

 一人の老人が大阪で立ち上がった。

水洗トイレを廃止して汲み取り便所にもどろう!と。

しかし、老人の志はウオシュレットの前に儚く散った。これが実現していれば、痴呆老人も ”肥料製造機“ として少しは役に立てたのに。残念である。

    ”なに?フイガロ紙?

         それは、尻拭き紙”

 

 

民族が滅亡する前に

 今、若者の間で”ふろ友”というのが増えているらしい。

若い男女が一緒に風呂に入り、体の洗いっこをするらしい。

当然そのままベッドへ。と思いきや、「おやすみ、又明日ね」でおしまい。

信じ難いが若者の間では珍しくないらしい。

これでは政府がなんぼ対策をしても少子化は止まらない。

これが本当ならば、大和民族は遠からず滅亡してしまうだろう。

 

 危機感を持った俺は、民族を滅亡の淵から救わんと敢然とたちあがった。

まず、ガールフレンドに協力を求めた。「嘘か、真か、俺らも試してみよう、」と。

 俺は75歳、ガールフレンドは60歳。

 

   大和民族の減少問題にはなにも寄与しない。

釜ヶ崎にて

 ”山手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした。

そのあと養生に一人で但馬の城崎温泉へでかけた。”

 志賀直哉の”城崎にて”はこうはじまる。   

 この中に、次のような一節がある。

“ネズミは一生懸命泳いで逃げようとする。ネズミは首のところに七寸ばかりの魚串が刺し貫いてあった。(中略)ネズミは這い上がろうとするが、魚串がつかえて、又水に落ちる。

ネズミは助かろうと、川の中へ泳ぎ出ては流される。”

 

 これを読んで、ある男を思い出した。

男は自転車に跳ね飛ばされて怪我をした。仕事ができなくなって釜ヶ崎へながれついた。しばらくいたがなじめず、此処を出た。男は彷徨い歩き、気が付くと四天王寺に立っていた。

つかれきった男は倒れこむようにベンチに座り込んだ。

秋の風が吹いていた。微睡むように眠っていた。夢を見ていた。

暗闇から女の声が聞こえた。

      「なに ”してんの” 下手くそ!」

                      四天王寺にて

 「何してんの!」と叱られた。ここにも男の居場所はなかった。

 

 安らぎの場所を求めて男は彷徨い、いつしか東京へ流れ着いた。

晩秋の風は冷たく、疲れた体をいたぶる。

 闇の中から切ない女の声が聞こえる。

       「私たちこんな事して ”いいのかしら”」

                      井の頭公園にて

 こんな事していいのかしら、と自責の念にかられ、男は又旅に出た。

 

 通天閣は哭いていた。釜ヶ崎は雨に濡れていた。男は又ここへもどってきた。

  それから三年になる。

                      釜ヶ崎にて

 

 

 

             

 ”

西郷さんも敵わない

 浜口雄幸の金玉は女房の屁に揺らめいた。

西郷さんにはこんな歌がある。

     ”大きな金玉伊達には持たぬ

         女房が屁をすりゃ蓋にする”

 そんな西郷さんもこの女には敵わない。 

     ”もっと!で 3本

     もっと!もっと!で 4本

     もっと!もっと!もっと!で 拳

  女は言う。

                 "ねえ、お願い。指環をはづして”

     

 

男は生き返った!

 男が倒れた。病院へ駆けつけると手術は終わっていた。

まだ麻酔の冷めない男の横で、医師が家族に何やら説明している。

「右半身に麻痺が残るでしょう」すると、まだ意識のないはずの男の左手が静かに動いた。

  ”右を向いていたチンポを掴むと、そーっと左へ”

 

 麻酔から醒めると男は、看護婦にきいた。

    ここは?  病室ですよ。

    あの音は?  お経ですよ。

    隣りは?  葬儀場ですよ。

   隣りの人たちは?  皆さん入れ歯ですよ。

歯ぎしりは聞こえませんよ。聞こえるのはお経だけですよ。

安らかに眠れますよ。 天使の様な優しい声で看護婦は言った。

 

 回復に向かっていた男の症状が急に悪化した。担当医は一両日が山という。

か細い声で男は娘にいった。

    オソトミタイ サクラミタイ

娘はあきれた。死をまじかにして父は、昔の女、さくら姐さんのオソソが見たいという。それでも最後の願いだ。叶えてやることに。

  ”股広げ さくら姐さん オソソ見せ”

 男は声を振り絞り、震える声でいった。

  「観たいのは オソソじゃないの オソト」

  「さくらのオソソじゃないの オソトの桜なの」

 

 それでも男は、右半身に麻痺が残ったものの回復した。

退院すると車いすの生活が始まった。俺は娘に教えてやった。「三途の川は25mある。

泳げない奴は何度でも舞い戻る、と。

次の日娘は、嫌がる男を車いすに縛り付け、水泳教室へつれていった。

1週間がすぎた。

   先生は言う。

      「もうすぐ25M泳げるようになりますよ。」

   娘は言う。

       「先生、ターンはおしえないでね。」

       

懲りない男

 男は一枚の紙をひらひらさせ、「おい、セックスしてくれ」と言いながら入ってきた。「なんやと!俺の女房に!」店の親父は怒った。 「なに怒ってんねん、これや、これをセックスしてくれ。」

何のことはない、SEXじゃなくてFAXのこと。そしてこの男は、「おい!この機械壊れてるで何回やってももどってくるで」と文句を言う、原稿が先方へ飛んでいくとでも思っているらしい。

 これは、酒屋で立ち飲みをしていた時のこと。この時からこの男との付き合いが始まった。

 

 「静かに!今からドレミの歌を“屁”で歌う。」マイクを尻にあてがい下腹に力を籠める、最大ボリュームのスピーカーから匂いがながれた。

 「 ごめん! ”ド がでんと ”ミ” がでた。」

これは、去年の忘年会でこの男がやらかした本当の話。

      

「 おい、何とかしてくれ。」ある日、しょぼくれて男がやってきた。女癖の悪いこの男、よりによってヤクザの女に手を出した。

「『ちんぽちょん切るか、大阪湾に沈めるか、どっちにする!』とヤクザみたいなこといいよるねん、どないしょ」

「そら大阪湾のほうがええやろ、まだ寒ないし」「そう冷たいこと言わんと頼む」と何度も頭をさげる。少し可哀想になってきたし、義を見てせざるは勇無きなりともいう。

 「よし、分かった!あとは俺に任せろ」

       ”弔辞は俺がよんでやる”