歴史の謎に挑む 

  “私は貧しいのではのではない。

            質素なだけだ”

 世界で一番貧しい大統領と言われた、ウルグアイのムヒカ元大統領、日本に来たときにはこんな言葉を残した。

  ”人は金持ちに成る為に生きるのではない、

            幸せに成る為にいきるのだ”

 

 俺は貧しい、だから質素なだけだ。

望んで貧乏になった訳ではない、金持ちに成りそこなって貧乏になっただけだ。

結果として質素な暮らしを強いられているだけだ。そんな俺でも、近場の日帰り旅行ぐらいはできるのだ。

 

  

 三重の伊賀へ行った。

 ここは昔、信長の伊賀攻めで多くの罪もない人々が虐殺された、つらい、悲しい歴史を持つ町である。この伊賀攻めの時、わずかに生き残った村人たちは復讐を誓いあった。

 

    ”わが敵は本能寺にあり!”

 光秀は謀反を起こした。この兵の中に、怨念を晴らさんと機会を窺っていた一人の伊賀の”忍び”がいた。

 乱戦の中、本能寺の奥深く忍び込み、静かに身を伏せた。

 

 その時の″忍び”の子孫にあった。

 二つの古いを木箱を見せてくれた。中には頭蓋骨がはいっていた。信長のだと言う。「そちらの小さい箱は?」 それには小さい頭蓋骨が入っていた。

     ”これは、信長の幼少期の頭蓋骨”

 

 本能寺の変の後、光秀、後に、秀吉によって徹底的に信長の遺体、遺骨は捜索された。

  光秀の謀反の動機と信長の遺体、遺骨、の行方は今も日本史の謎である。