天の声
首振り三年ころ八年。
尺八が吹けるようになるにはこれだけの年月を要する。
娘は若冠18歳にして出来るようになり家をでた。
後を追うように女房が消えた。預金通帳と共に。
時を同じくして、外出自粛、家業のラーメン屋は営業自粛。
家庭は崩壊した。収入は途絶え、希望をなくした男は死ぬことを考えている。
ぼんやりした頭でテレビを見ていた。
武漢や、ヨーロッパの都市は封鎖され、街中が消毒されている。異様な光景だった。
男には人類が滅亡に向かっているように見えた。
そこにいるかいないか分からないコロナウイルスを殺すためだけに、目には見えないが確実にいるウイルス、バクテリア、小動物などを皆殺しにしている。
人類が滅亡しても、地球環境は良くなりこそすれ、大したことにはならない。
せいぜい新型コロナウイルスが一緒に死滅するだけ.
しかし、生態系に狂いが生じ、ミツバチが死滅すると地球上の全生物が全滅するのだ、
たった4日で。
30数年前、湾岸戦争が終結した後、アラビア海は油田から流出した原油で真っ黒に汚染され、海の底は黒い不気味なオイルボールに埋め尽くされた。
世界中の生物、海洋、地球自然科学などの専門家は口を揃えていった。
元に戻るには100年かかるだろうと。
しかし、2年、3年、と経つうちに元のきれいな海にもどった。
自然界では、人間の知恵などおよびもつかない事が起こっていたのだ。
何10億年も前から生きてきたであろう、この汚染された環境に適したウイルスがいた。
かれらは、このアラビア海で爆発的に繁殖し、瞬く間に汚染物質を分解すると、どこえともなく静かに姿を消した。
かの国の人々は、このウイルスを、太陽の光、エネルギーの源”コロナ”をもじって、
”コロナウイルス”とよんだ。
それから30有余年、彼らは”新型コロナウイルス”に姿をかえ、環境汚染の諸悪の根源、人類を浄化せんとその姿を再び我々の前に顕した。
昔、建築家の黒川紀章は″共生”という言葉を初めて使って人々に警鐘を鳴らした。
また、ノーベル賞の中山教授は、これから我々は彼らウイルスと”共存”しなければならない。と我々に呼び掛けた。
多くの人がこれに共感した。エゴの塊だった人間の魂は新型コロナウイルスによって今浄化されつつある。
「非常事態宣言を解除する!」
吉村大阪府知事の声がする。彼の頬はこけていた。
吉村!寝ろ!
天の声が聞こえた。
ラーメン屋!おきろ!
空を見た。若葉は陽に輝いていた。
季節はいつしか夏の気配。男は立ち上がった。そして、
”冷やし中華はじめました”