老人には義務と責任がある!

 “未来がないのに勉強しても意味がない”

当時18歳の少女、グレタさんのこの一言で世界は目が醒めた。

 待ったなしの環境危機に、日本でも漸く若者たちが声を上げ始めた。

 脚本家の倉本聰さんは、ある雑誌でこう書いている。

 『声を上げ始めた若者たちに賛意の旗を振ってやろうではないか、我々老人には、ここ何十年地球を痛めつけ、ここまでの環境危機を招いてきた責任があるのだから』と

我々老人に呼びかけられた。

 

 この雑誌の発売の少し前、故郷九州で農業を営む友人から声がかかった。

二十数年前、循環型農業の勉強をしていたのを覚えていたらしく、『10ヘクタールの農場を使って循環型農業をやってくれないか⁈』との話であった。

 二十年前ならいざ知らず、大阪での都会生活にどっぷり染まった75歳の年寄りには少し荷が重い。

もちろん断った。しかし、彼は俺の一番弱いとこをついてきた。

『あんたは今のままで人生を終えるつもりか⁉』「五年でいい、五年したら若い人に引き継いでもらい、俺も引退する」と彼は言う。

 そこえ、倉本聰さんの『老人には責任があるのだから』の一言。

 これで腹は決まった。

 

 九州に来て三か月、自由に勉強させてもらってわかってきた。五年という短期間では無理だということが。

 やり始めて途中で止めるわけにはいかない、この農場からはいったん手を引くことにした。

 

 この三か月の間いろんな土地、地域を見て回った。その中で宮崎県の高千穂に強く惹かれ、何度か行くうちにイメージは膨らみ、昔の夢が形となっていった。

 そして、倉本聰さんの呼びかけにも応えることができる。

     若者には夢を!老人は責任を!

 

 

 

 

 

 

 

 

陽出づる国、高千穂へ

陽いづる国、高千穂へ
☀️


日本の秋はススキの穂先が白く光る透明な風景でした。
でも年々ケバケバしい原色のイエローが目立つようになって
きたことに、おや、、、?と思ったことはありませんか。
どこにもかしこにも我が世の春ならぬ秋とばかりに群生し
ている”セイダカアワダチ草”。
この叢生植物は繁殖力の強い根から毒を分泌して、ほかの植
物を駆逐しつつ繁殖するのだそうです。
ある人が列車の窓からそんな風景を見て、となりに座ってい
る植物の学者さんに尋ねました。
「あの草はそのうち日本中を真っ黄色に染めてしまうのでは
ないですか?」
するとその学者さんは答えました。
「ああ、あの草なら大丈夫です」
「えっ、どうしてですか?」
「だってあの草は繁殖すると、自分の毒で自家中毒をおこし
て自滅するのです。自業自得とはいえ可愛そうな植物なので
す」
このはた迷惑な草は北アメリカ原産で駐留米軍が運んでき
たのだそうです。
さて何か身に覚えがあるというか、他所事ではないという気
はしませんか?
まず思うのは、私たち人間の世の中です。一部の富裕層にお
カネが集まり、ほどほどの暮らしをしていた人たちが生活に
困るようになったのではないでしょうか。
また、首都圏をはじめとして大きな都市へ都市へと何もかも
が集中し、地方からヒトもモノもカネも消えていったのでは
ないでしょうか。
さらに地球についてもいえるでしょう。人類だけが繁殖して
他のありとあらゆる生き物が絶滅の危機に直面しているので
はないでしょうか。
そうなってきますと、”セイダカアワダチ草”が繁殖していく
風景は、私たちが生きている今の時代をわかりやくす可視化
(まざまざと目に見える)しているように思えてきます。
初夏のある日、阿蘇路から高千穂の方へとプチツアーをした
時のことでした。夜明けに車を走らせていると、清冽な空気
の中に、栃又の段々畑が白い靄に包まれてひっそりと佇んで
いました。その風景を目にした時に、胸奥に湧き上がってき
た感動をどのような言葉にすればよいのでしょう。
その時どこからか刻を告げるニワトリの鳴き声が聞こえてき
ました。なにか懐かしい思い出がよみがえってきました。
私たちの世代はそうなのですが、いえ、本当に、目覚まし時
計でもなく、車のエンジン音でもなく、ニワトリの鳴き声で
目をさました時代が日本にもあったのです。
今の街中に住んでいる若い世代の人には、そんな経験はない
のかもしれません。でも、、、、
デジャビュ(既視感)という言葉は聞いたことありますか?
はじめて訪ねたところ(または経験)なのに、そんな気がし
ない。昔どこかで出会ったことがあるような懐かしさに包ま
れる。この山里にはそういうとても不思議なものがあるの
かもしれない、なんて思ったのです。
思えば、ここは「神話の高千穂』と呼ばれる地域でした。天
の岩戸が開けられて、暗闇に閉ざされた世界に光がもたらさ
れたという伝説がある町なのです。
さもありなんと思いました。日本列島は山と海の国です。私
たちの頭の中にはそういった風土の残像がこびりついている
ような気がします。すると、ここにあるのは私たちの心の中
に眠っていた懐かしい故郷の姿ではないか、そう感じたの
です。
私たち(団塊といわれる)世代は高度経済成長時代のど真ん
中を脇目もふらずに走り続けてきました。そして初老に差し
掛かって、来し方を振り返った時、正直功罪相半ばする思い
があります。本当にこれで良かったのだろうか?
18歳の少女、グレタ・トウンベリさんに、
「未来がないのに勉強しても意味がない」と世界に向かって
叫ばせたのは他ならぬ私たちの世代ではなかったか。
私たちこそが、ひょっとするとあの”セイダカアワダチ草”
ではなかったか。私たちの子や孫を幸せにするつもりが、
実は彼らから未来への希望を奪ってしまうような役割を
結果的に果たしてしまったのではなかったか?
この高千穂という私たちの心のふるさとのような町を過疎
化させていったのも私たちではなかったか?
陽沈む町にしてはならない。陽昇る町に生まれ変わらせなけ
ればならない。もう一度私たち自身の手で天の岩戸を開ける
ことはできないか、そういう思いに繋がっていくのも無理か
らぬことかもしれません。
そういう次第で、一つのプランを考えました。骨組みだけの
フレームワークかもしれませんが、日本初の国産自動車だっ
て粘土のモデルを拵えることから始まりました。
まずはできることから、、、。その後は皆さんと知恵を出し
合い、力を合わせて、素晴らしいものにしていきたいと思い
ます。
今から三百年前、F.ケネーという人は経済を血液の循環にた
とえ、”農”を国の中心にして、黄金の重みでつぶれかけたフ
ランスを建て直しました。
私たちもこの高千穂という心のふるさとから、お金の重み
でつぶれかけそうな日本列島に命の息吹を吹き込めたらな
と思います。
☀️


プランのフレームワーク

①就農のハードルを下げ、チャンスを与える

UターンがJターンに、さらにIターンになって、地方暮らしを
望む人が増えてきました。しかしそこで現実的な問題となって
くるのが、いかにして生計を立てていけばいいのかというこ
とです。新規で就農したくても、資金もないし、知恵もない。
特にネックとなっているのが資金面の問題で、最低でも2000
万円は必要だし、収入を得るまでに2、3年はかかると言われ
ています。
しかし、平飼い養鶏の場合、借家借地に間伐材などの廃材を
利用し、自前で鶏小屋を作れば(高千穂の方々にある斜面だ
って使えます)、200万円もあればスタートできるし、半年も
すれば毎日の現金収入が見込めるようになります。
あとはゆっくりと自然農法なり、不耕起農法なりで、持続可
能な農業を続けていけばいいでしょう。この山地の地形や気
候ならではの作物だって沢山あります。

②地域(都市部と農村部)や世代、職種を超えた共存共生の
ネットワークを作る。


例えば、自分自身の新規就農はちょっと無理かなと思っても、
農業に関わることができないというわけではありません。
クラウドファンデイングで小口の出資者として参加すること
もできますし、ネットなど活用して情報発信したり、販路を
拡げたりとか、やれることは沢山あります。
その中で特筆すべきは、、、、、
日本には約2000兆円の世界最大の民間の個人金融資産が
眠ったままになっています(内1356兆円が60歳以上)。
これは今後老々相続などにより雪だるま式に巨大化してい
くとみられています。
金利ゼロの時代では、そのように、ただ親から子へ富を動
かすかすだけでは社会的には死に金にしかなりません。
富をあるべきところに戻すことによって初めて生きたお金
になるでしょう。
”誰のものであるのか”でなく”誰のためにあるのか”という
視点がなければ、2000兆円は死に金どころか、結局は自分
の首を絞めることになりかねないのが、この世紀末といわ
れる時代に生きる私たちの宿命のようなものだと思います。
日本中にある、この尊い資産をいかに有効に活用できるかが
ひいては日本を世界を自然を救い、若い人たちの未来に光を
当てるキーポイントになるような気がします。

③持続可能な循環型社会構築への”知”の拠点をつくる。

持続可能性のある社会と発展は相反するものです。自然の
生み出すものの利息だけで営まれるささやかな暮らしだけ
が持続可能なのです。自然の元本に手をつけ始めた時がバベ
ル(バブル)の塔が崩壊する時なのです。そしてその時はす
ぐそばに来ているような気がします。
『私達の身体は、何かしらの疾病があると、直ぐに対応して
くれます。地方自治や政治の理想的なモデルは、この人体に備
わっている事を識るべきだと考えています。右手と左手は、
喧嘩しないし争わない。正常細胞は、慈悲利他の行為を繰り
返して身体を維持しています。恒常性の維持(homeostasis)が
常に働くようになっています。頭は愚かでも、身体は天才的
な行いをしています。本来の理想とする政治・経済のモデル
が身近な人体にある事を思い出さなければならない。害虫駆
除的な、間違った思想が脳に叩き込まれると、心まで腐るの
が人間です。日本から、こうした思想哲学(自然栽培等)を世界
に広めなければ、手遅れになりそうです。』
(スーパー公務員、総務省地域力向上総合アドバイザー、
高野誠鮮さん)
そのためには、自給自足の農業経済のみならず、種々の方面
からの貴重な知恵の結集がなくてはなりません。そういう観
点から見る時、この地域には有り余るほどの有形無形の眠っ
た資産があります。
例えば、廃校になった敷地だけで七つもあります。校舎の建
物もあれば、広い運動場もあります。
そんな場所を、日本中、世界中の、心ある人たちの貴重な生
きた人間的知的資産の結集の場にしたいと思うのです。
いろいろな特技とか体験を持った人や、在野の研究者や、芸
術家や、ありとあらゆる人たちが、日本中から、あるいは世
界中から集い、交歓していけるような素晴らしい場所にしてい
きたいと思うのです。

④長鳴鶏(ニワトリ)が天の岩戸を開ける日

中沢新一(宗教、哲学、文化人類学者)さんは、20代の頃
チベットに仏教の修行(留学)に行きました。そこでの修行
の第一歩は、ヤクが屠殺される現場を目に焼き付ける事でし
た。屠られる羊はお前の母親の生まれ変わりの姿かもしれな
いのだぞ、と傍にいる僧が言いました。いのちについて思索
をめぐらせ、瞑想することが修行のメーンテーマであったの
です。
それら命のかかわりについての文化は、一種の叡智であると
私は考えてきました。その叡智がある限りにおいて、人は
何億年も命をつないできました。だから頂きます、有難う、
なのです。
そんな言葉や思いが途切れたとき人はどうなるのでしょう
か?命の絆を失うのです。生きとし生けるものと、そうで
ないものとの境界がドンドン曖昧になっていきます。
そこには現代のシステムの暴力的影響があります。ブロイ
ラーの精肉工場では、何千、何万という鶏がベルトコ
ンベヤーに乗せられて機械的に次から次へと処理されてい
きます。それはまさに「命」が市場経済というシステムの中
に放り込まれた情景です。仕方なく、でなく儲けがある限り
です。儲けがある限りベルトコンベヤーが停止することはな
いのです。
私たちはブロイラーという命を何の疑いもなくベルトコンベ
ヤーに乗せています。それと同じように、有り余ったお金か
ら、飽くこともなく最大限の利益を生ませようとしている一
握りの人々の手によって、今度は私たち自身がベルトコン
ベヤーに乗せられようとしているのかもしれません。
高千穂という地で営む平飼いの養鶏から生まれる有精卵は
ただの卵ではありません。このニワトリたちを愛しみ、育てる
人たちは、いわば環境危機回避に立ち上がった現代の八百万
(やおろず)の神であり、そしてそこから生まれた卵は神々の
大地と大自然の生命力を宿した食べ物に他なりません。
そういうプライドを象徴した卵を普及させることは、そのまま
その心を日本中の人々に伝えるよすがとなるのです。循環する
世界のあり方を発信する尖兵となり、メッセージとなるのです。
太古の昔から私たちの先祖は、森羅万象全てに神が宿るのだと
してきました。仏教哲学(般若心教など)においては、悟り
(菩薩)や智慧をひたすら実践実行することで、心と世界の
永遠の平穏を得られることができるといいます。
私たち一人一人に命があるように、地球上のすべてのものに
命があります。私たちはそんな命を命に届け、命を命に結ぶ
メッセンジャーになりたいと思うのです。

魔法の言葉

 “白い猫でも、黒い猫でも、

         ネズミを捕る猫はいい猫だ”

 

 中国が、一国二制度で経済成長を始めた頃、当時の最高実力者、“登小平”はこういって人民を煽った。

 十二億の安い労働力を背景に外国企業を誘致、その技術を盗み、特許、知的所有権を侵害。そして、外国企業の稼いだ金は母国に送金できなくした。

 ネズミを”捕る”とは、特許、技術、知的所有権、そして財産を”捕る”ことだったのだ。

 

 中国では“愛国”の名の下、噓、盗み、侵略、圧迫、搾取、強奪、なんでも許される。まさに、自分のものは自分のもの、他人の物も自分のもの。

 登小平は、1974年に国連でこんなことも言っている。 

 “中国が覇権を求め、他国を侵略、圧迫、搾取することはない。”

 

 いま、中国は南シナ海で他国を侵略、ウイグル自治区や、チベットでは圧迫、侵略、

を続けている。そして、1960年代国連の調査で尖閣諸島に貴重な資源が発見されると領有権を主張しだした。

その根拠が振るっている。

    ”数百年前は中国のりょうどだった。”

                                                                          -----知らんけど。

 そして、その内こう言いだす。

    “有史以前、日本列島は中国の領土だった!”

                     -----知らんけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きっつ~うい、シャレ!

 数年前、大阪では交番のお巡りさんが襲われる事件が頻発した、交番の近くに住む小学生のたけし君、いつもお世話になっている交番を訪れこう言って励ました。

      “セコムしてますか!?”

 

 イラク戦争の後、治安維持のためイラクに入ったアメリカ軍。戦争が終わったはずのイラクで戦死者が出てはまずいというので、民間の軍事会社に自分たちを警護させた。

       〝”世界最強のアメリカ軍は

                セコムしていた”

    

   親子ヨガ教室でのこと。

 「こうやってリンパ腺を刺激し、老廃物を排出します。」と、先生。

    「ママ、ろうはいぶちゅってなに?」

  「それはねえ、古くなって役に立たなくなったもののことよ。」

 その子は、隣にいるおれをジイーと見てこういった。

    ”そうなんだって!”

 

 「運転手さんは何歳ですか?」と、タケシ君。

「今年で75歳になるよ。」 「ふ~ん、七十五歳いうたら人間なら何歳?」

お父さんが慌てて、「お、お、お元気ですね。」 「なあに、ボケ防止ですよ。」

  すかさずタケシ君、   

       「ちょっつと遅かったネ。!」

 

 敬老の日、集まった老人を前に、タケシ君のお兄ちゃんのひろし君、中学三年生が壇上に登り祝辞を述べた。

 「年間8000頭の競走馬が登録されますが、走れなくなったり、役に立たなくなった馬は殺処分されるそうです。」

     “お婆さんはあるけますか?” ”二足歩行できますか?”

  「ニコニコ笑ってるそこのお爺さん、」と指差し、俺に言った。

      ”役に勃ってますか!”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歴史の謎に挑む 

  “私は貧しいのではのではない。

            質素なだけだ”

 世界で一番貧しい大統領と言われた、ウルグアイのムヒカ元大統領、日本に来たときにはこんな言葉を残した。

  ”人は金持ちに成る為に生きるのではない、

            幸せに成る為にいきるのだ”

 

 俺は貧しい、だから質素なだけだ。

望んで貧乏になった訳ではない、金持ちに成りそこなって貧乏になっただけだ。

結果として質素な暮らしを強いられているだけだ。そんな俺でも、近場の日帰り旅行ぐらいはできるのだ。

 

  

 三重の伊賀へ行った。

 ここは昔、信長の伊賀攻めで多くの罪もない人々が虐殺された、つらい、悲しい歴史を持つ町である。この伊賀攻めの時、わずかに生き残った村人たちは復讐を誓いあった。

 

    ”わが敵は本能寺にあり!”

 光秀は謀反を起こした。この兵の中に、怨念を晴らさんと機会を窺っていた一人の伊賀の”忍び”がいた。

 乱戦の中、本能寺の奥深く忍び込み、静かに身を伏せた。

 

 その時の″忍び”の子孫にあった。

 二つの古いを木箱を見せてくれた。中には頭蓋骨がはいっていた。信長のだと言う。「そちらの小さい箱は?」 それには小さい頭蓋骨が入っていた。

     ”これは、信長の幼少期の頭蓋骨”

 

 本能寺の変の後、光秀、後に、秀吉によって徹底的に信長の遺体、遺骨は捜索された。

  光秀の謀反の動機と信長の遺体、遺骨、の行方は今も日本史の謎である。

 

 

 

 

 

 

 

取り直し 大阪場所

 

    「あかん!あかん!あかんいうてるやろ!」 窓からは初夏の風が。

  「あかんいうたら,あかん!」 「あかん言うてるのに----、もう。」

      「ああ~、あかん、あかんそこは----そこは----。」

  「そこはあかん言うてるのに~」 「ああ~もうあかん!」---------

---------「あかん、止めたらあかん」---------「あああ~止めたら、止めたらあかん」

   「あかん!まだや!まだあかん!」---

      「あ~あ、まだあかん言うてるのに~。」

        「 取り直し!!」

 

 「ねえねえ、おばちゃん何してんの、裸で。」  「えっ!??、え⁈え⁈---なな、  なんや、チコちゃんかいな、ああ、びっくりした。」

    「おばちゃんはネ、今お相撲とってるの。」 「これから取り直しなの」

 「ふ~ん、お相撲流行ってんのかな、うちのお母ちゃんもお相撲とってたよ、」

      「隣のおっちゃんと」

 

 

 

 

 

 

   「

 

屁⁉ 屁⁉ へえ~!!

 左の指は、左甚五郎の眠り猫を彫るノミが如く繊細に。

右の指は、葛飾北斎の筆先の如く、乳房に富嶽百景を描く。

    女の肌はうっすら桜色。

       ほのかに匂う加齢臭。

 見よ!この職人技を!。つけっぱなしのテレビが叫ぶ。凄技だ~!!。

 アナコンダのような太い脚が俺を締め付ける。”穴ここだ”と俺を急き立てる。

そして、2人がクライマックスを迎えんとしたその時。

    『あっ!---------ごめん!』

             俺の金玉はブルブルと震えた。

 

 昭和の初め、ライオン宰相と国民に慕われた浜口雄幸、右翼青年に腹を撃たれた。

 手術は成功したが、腸が繋がった証の屁が出ない、国民は屁の出るのを待ち望んだ。

 三日目、待望の屁が出た。

 

     屁一つ 秋の世界の 晴れ渡る

 

     秋の夜や 天下に響く 屁一つ

 

     寒月や ライオンの屁に ゆらめけり

 

  こう詠んで国民は喜んだ。

  浜口首相は、国民への感謝を込め、こう詠んだ。

 

      金玉や 女房の屁に 揺らめけり